「そりも引っ張ったね。そりは一人一台引くんだからね」
宮城県丸森町にお住まいで、2022年に90歳になられた佐藤秀夫さんは、戦後の社会が大きく変動する中で山仕事に携わってこられました。14歳から山仕事を始めたと言う秀夫さんは、ソリや馬車、代燃車など、今は見かけることがなくなった方法で木を運んでいた様子や、その為に簡素で危険な橋をかけたこと、山仕事の間には、ご自身が丸太に乗って空に飛び上がる空想をしていたことなどを教えていただきました。また令和元年東日本台風の際に起きた丸森の土砂災害では、洪水に巻き込まれ、ヘリコプターで救助されたというお話もお聞きしました。

話し手:佐藤秀夫さん(以下佐藤) 聞き手:建築ダウナーズ(菊池、千葉、吉川)
※ 本インタビューにはアーティストの瀬尾夏美さん(以下、瀬尾)、Woods and People MARUMORIの刈田路代さん(以下、刈田)にも同行して頂きました。
◯山仕事 - モトヤマとソリ引きの仕事 -
佐藤:うちの親父がモトヤマ(元山)ってね、伐採やってたもんで。モトヤマって言ったんだね、伐採する人のこと。
搬出するのは、主にソリだったね、人が引っ張るソリ。俺たちはやらなかったけれど、馬搬をやってる人もいたけれどね。例えば山があったら、こっちの登る方は上まで馬で引っ張り上げて、そしてそっから今度ソリに積んで人が引っ張って道路まで出したっていうシステムでやってたね。
菊池:秀夫さんはソリを引っ張る役割だったんですか?
佐藤:ソリも引っ張ったね。ソリは一人一台引っ張るんだからね。
瀬尾:どんな大きさのソリだったんですか?
佐藤:8尺っていうのかな。縦の長さね。一寸ぐらいの厚さの楢とか桜とか硬い木を、ちょっとこう踏ん張った状態にしてソリの板にして、前2本、後ろ2本で、4本でとめて。
ソリ板の横につけるやつはカンザシって言ったんだけど、髪に挿すカンザシとおんなじ、横に結えつけるからね。前に2本、後ろに2本あって、そこに材木を渡すからね。
千葉:一度にどれくらい運びましたか?
佐藤:一度にっていうよりも、どのくらいの太い木を何段に重ねるかっていうことなんだね。普通こういう太いのだと、ゴロンと一本真ん中にやって、細いのを両側に置いてね、グラグラしないように。そして一回ロープで絞めて、その上にまた重ねていくっていう。ソリの舵をとる棒っていうのはもともとないからね、長い細い材を使って梶棒にしたんだね。細いって言ってもこれくらいだけどね。
一同:太い......!
佐藤:それにカスガイを打ち込んで、それをハンドルがわりにしてね。コの字型になった鉄を材木に打って、グラグラしないように。それをつかんで舵取りするんだね。
千葉:基本的には作業は冬ですか?
佐藤:主に副業としては、冬やったけども。杉材と松材が主で。
松は、今は値段にならないけども、当時パルプとしては、松が一番だったのね。パルプっていうのは紙の原料だね。東北パルプっていうのが石巻にあって。自動車なんていうのは無かったからね、今よりもっとガソリンがないんだから。木炭をたいて、そのガスで車回してたんだね。貴重なガソリンていうのは起動する時とか、そういった時に使って。あとは木炭だから、登りの時なんか力が無いんだよね。
今は丸太切ったのをそのまま、川崎なんかへ出すけども、当時は全部皮をむいたんだね。松の木の皮。ヘラと同じような道具でね。今の言葉で言うとピーラーだね。
モトヤマの人はたまに山に行って一本一本皮むいてね。皮むいた木を重ねて、検知(けんち)って言う業者の人がハンコ持ってきて、切った木を検査するんだね。どのくらいの量があるかっていうのを。モトヤマの方の仕事はそこで終わりなのね。皮むいて、重ねて、それを検品だね。検品した状態で、業者に渡すんだね。
山はね、当時みんなのこぎりで伐ったんだから。そのあとチェンソーになって、今は重機で自動的に伐っていくからね。そういうふうに変化してきたんだね。
瀬尾:山のどの部分を切るかを決めるのはモトヤマの人なんですか?
佐藤:俺たちは手で伐る時からやったからね。モトヤマのあたりに関しては、チェンソーが出てくるまではのんびりしてたね。ひと山いくらって。今は立米だけども、当時は石数で数えて。ひと山、何石木があるかっていうのを概算で。普通はその前に業者がやる立木調査っていうのがあってね、直径をみるためにハサミかけるのね。それから、ひと山に延べどのくらいの木の容積があるかってことをみて。米木調査っていったね。それを入札で取る場合は、測った人と、山勘でここにどのくらい木があるっていうのをやるんだね。
一同:山勘で!?(笑)
佐藤:俗に山師っていったんだね。
菊池:じゃあ一つの山単位で値段をつけるんですね
佐藤:石なんぼっていって、立ってる木を造材した場合にどのくらい出るかっていう。それは俺たちは勘なのよ、業者から受け取る場合は。モトヤマの場合は業者のように立木調査してないから、一山でいくらってざっくりで、ソリ引きの人たちは、それにソリが通る道つけるのがどれくらいかかるかとか、ざっくり計算してね。モトヤマの場合は搬出のことは考える必要ねえからね。こう山を分けてね。一人ひとり、山を帯状に分けるんだね。俗に山分けっていうんだけどもね。山分けするっていうのはね、等分に分けるってことなんだね。泥棒して分けるのと違ってね。仕事を分けるわけ。ここは俺の山で、ここは他のモトヤマのでって。
菊池:分ける前のその一個の山は誰の山なんですか
佐藤:官公林とか個人所有のとか色々だけどね、それは業者が買うんだから。業者が買って、それを私らが受け取るわけ。
菊池:元山の人たちは個人でやってるんじゃなくて、会社みたいなのに入ってるんですか?
佐藤:会社でねくて、組だね。5、6人の組でやってて、組頭(くみがしら)っていうのがそこにいて。親方だね。山を買った業者から、木を伐る仕事を請け負うわけだね。
瀬尾:業者っていうのは?
佐藤:材木業者。
瀬尾:地元の業者なんですか?
佐藤:地元もあったし、遠くからでっかい業者がきて。でっかい山だと何ヶ月もそこに仕事あったわけ。モトヤマは基本的に個人事業主だから。請け負いだね。
瀬尾:その木材業者っていうのは遠くから来たんですか?県外からも?
佐藤:木材業者ってのはどっからでもきたよね。パルプ会社とかなんかも。
菊池:もとやまとソリ引きの人はどういう関係なんですか
佐藤:まあみんな近い人たちだったね。となり近所の人たちで山仕事って。俗に山仕事って言ったのね。山仕事って言っても薪とったりするのも山仕事だけども。そういったこととはまた違って。モトヤマとソリ引きってことになるんだね。
瀬尾:ソリ引きもグループというか組みになっていて?
佐藤:5、6人のグループで、そり一人一台ずつで。それぞれ引っ張るわけだね。だいたいソリ3台ぐらいで、当時の自動車いっぱいになるんだね。当時はさっき言ったみたいに代燃車(だいねんしゃ)だったね。トラックの荷台のところに窯があって、そこに炭入れて、ガス発生させて、そのガスを棕櫚(シュロ)の皮を何枚もパイプの中に何枚もこう詰めてね。そしてそのパイプ通してエンジンの動力にしたんだね。
千葉:水を蒸発させるのではなくて、木炭のガスで?
佐藤:そう、ガス。
菊池:その車は、どの工程で使うんですか?ソリで下ろしてきた木を... ?
佐藤:今度は鉄道まで運ぶんだね。ここではね、船岡と、あと浜吉田、そのふたところだったね。俺たちが運んだのは。当時モトヤマの方の仕事が終われば、暇あくから、今度は車の助手になって。
菊池:車にも乗ってたんですね
佐藤:うちに、運転手泊めてね。朝、ランプ缶に炭起こして、エンジンの下に入れて、エンジンあっためて火起こすんだね。
千葉:秀夫さんが山の仕事をし始めた時には、今話されてたみたいに、もう車で運ばれていたんですか?
佐藤:んだね。車ってのは、代燃車、燃料の代わりってことね。
菊池:秀夫さんはおいくつの時から山に入られていたんですか?
佐藤:中学校卒業して、すぐだから、14歳くらいかな。兄貴がね、14歳で海軍の特別志願兵に行って、18歳で戦死したんだけども。当然俺は次男坊だから、うちにいないといけなかったんだね。兄貴が戦死したってこと、それでうちにいるようになったね。それまではどっかに出る予定だったのね。
菊池:そうだったんですね。普通は長男が家に残って次男、三男はどこか出稼ぎとかに行ったんですよね
佐藤:ここでだいたいそういう山仕事している人は農業兼なんだね。一戸あたりの農地の面積っていうのが少ないわけね。だから副業として主にそういうのをやってたんだんけども。
俗に三段百姓って言ったね。三段の土地、だから一段300坪だとしたら900坪くらいか、それくらいしかないわけね。それも小作農だったからね。齋理さんとか、二瓶さんとか、そういう地元の地主から借りてるわけね。そこに上納すると、家で食うのも足りないくらいだったのね。そういった暮らしが大半だったんだね。
あと、馬車、牛車ってのがあって。材木運ぶ時なんかは馬車に頼ったのね、馬車やってるひとがいっぱいいて。荷車に材木積んで、馬に引っ張らせるのね。馬車馬(ばしゃうま)のようだって言葉あるでしょ?ガリムリやらせるのね。今だと自動車運送業だけどね。当時は小運搬業(こうんぱんぎょう)っていう名前だったね、それも組合で。材木を山から牛車と馬車が列を作って運んで。ソリで出したやつを今度は馬車で運んだんだね。その後に、さっき言った代燃車が出てきて、それで運んで。
菊池:大燃車になる前は馬車で運んだんですね
佐藤:馬車組合ってのがあって。馬車ではだいたい東北の業者だとね、主にパルプ会社に運んだね。製紙会社なんだけども。そう大きくないのだと、製板所、製材所にも運んでたね。そういう業者に頼まれてそこまで運ぶっていうのが主だったね。製材所も盛んにあったからね。 移動製板ってのもあってね。自動車のエンジン、古いエンジンなんかを駆動して、円盤のノコギリでね、それを回転させて、二人ひと組で、一人がおす、一人が引っ張るってかたちで製材したんだね。
木伐るのを造材って言ってね、製板っていうのは、板を作ったり、あとは建築材ね、板とか梁なんかいろんな寸法に製材するわけ。
吉川:それが丸森にもあったんですか?
佐藤:移動製板っていうのは業者は一人しかなかったね。谷津製板。一家でそれやってたんだね。 なんだかあっちゃこっちゃな話になっちゃったね。
瀬尾:山の話に戻って。山で木を下ろす道を作るのは?
佐藤:それはソリ引きの仕事さ。倒材(とうざい)なんぼあるかっていうのは大体わかるからね。切ったやつだね。それを出すために、ソリの道を作る。今だと山削って窪を埋めて道路作ってるけども、そういった山の襞には、昔は桟橋かけたんだね。桟橋もみんな自分で、そこにある材料使ってね。山を極力傷めないように。道幅も、これくらいよりもちょっと広いくらい、1m50cmぐらいあったかな、それも広いところでね。材料積んで、道にソリ出すと、人は山側歩けないのね、道はソリでいっぱいだから。
瀬尾:落ちちゃいそうですね 。
佐藤:できるだけ労力かけねえでって感じでさ、道も細くするんだね。道作りにどれくらい人数がかかるか、橋かけるのに何人かかるかっていうことも計算して。切った木を山から全部出すためには、一石いくらで請け負うかっていうことを逆算するわけ。まず材料出す道作るまでは、まあ、俺たちはぶっ込みっていうんだね、なんぼかかるかっていうことね、まずそれを概算して、それをもとにして石なんぼで請け負うかっていうのが、業者との交渉だったね。
吉川:見積もりみたいなことなんですね。
佐藤:はねられる時もあるし、意外と楽に道作ることできる場合もあるしね。あとはそこにでっかい石出たり、根っこ出たりすると暇かかってねえ。予定以上に時間かかってしまうんだね。
吉川:道はどうやって作るんですか?
佐藤:唐鍬だよ。
一同:トウグワ?
佐藤:唐鍬、わがんねがな 。
刈田:薄いのじゃなくて、幅が厚めのやつですよね?
佐藤:これぐらいの幅のね。なかなかね、前時代的な話だね。 できるだけ、いくらかなだらかにソリが下ってこられるよう、道作るんだね。 場所によってはちょっと登るところもあるけどもね、登るところはみんなで押して通過するようにしないといけないから、できるたけそういう所は無くして、緩やかに下れるように道作るのね。それを目測で。
一同:目測で!
佐藤:あそこからこう行ったほういいなっていうのを目測でね。だから仲間で意見が割れることもあるのね。こう作ったほういいって人と、いや、ここんとこは避けてこう行ったほうがいいっていう人がいたりしてね。
瀬尾:それは組の5、6人くらいで実際に山の中を歩いて決めるんですか?
佐藤:そうそう。
瀬尾:じゃあ歩いたことのない山をみんなで入って行って道作るんですね。
佐藤:もちろん。いつでも新しく道つける所だからね。
菊池:桟橋はどうつけるんでしたっけ?
佐藤:山に襞あるでしょ。
菊池:はい、小さい谷とか沢になってるようなところ。
佐藤:その山の襞のところ通ってくるときは、今だと機械で削ってやるけども、そこんとこはソリ引っ張るだけの桟橋かけるわけ。
千葉:それも丸太で作るんですか?
佐藤:丸太で。そこにある伐った丸太を使ってね。
そんで板木(ばんぎ)っていうのを横にザーッと並べて作るのね。それがこれくらいに幅に間隔でやるわけだね。その板2本の上をソリが走るわけだからね。
瀬尾:レールみたいに。怖い、ジェットコースターみたいなもんですよね。
佐藤:で、こういう急な下りあるのね。そういうところは上の方に生えてる木なんかにワイヤー結わえ付けて、そしてソリの下を通して、ソリのハンドルの部分に絡めるのよ。それを持って緩めながら、降りるんだけども。
菊池:人はソリの前にいるんですよね?
佐藤:後ろにいたら引っ張れねえでしょ、ソリ引きっつうんだから。前に居るんだね。だから材料こう積んだらね、ここに一本梶棒ってやつつけるのね、これが太ければさっき言ったようなかすがい打つんだけども、太くなければ、手でつかんでやったね。それに、こういう急な下りのところね、ワイヤーをソリの下から通して、梶棒の方に絡めて、それを緩めながらツルツル、ツルツルと行くんだね、そいつ離せばバーンって行っちまうから。冬雪降ったりするとね、脇の土を掘って、土をぶん撒いて走らなくしてさ。滑らないようにね。下るっていうときは今言ったみたいにロープかワイヤー緩めながらねね、そうすると振り子みたいにツツツ、ツツツッて。
瀬尾:怖くないんですか?
佐藤:怖いっていうことは考えねかったね、それが普通だと思ってるからね。川の上にもずーっと桟橋かけるわけだから。慣れてない人は流れを見て、自分が川に持っていかれるような感じがするのね、下を水がガンガン流れていくからね。動けなくなってそのまま橋につかまって固まってしまって、進むも退くもできなくなるの。 まあ俺たちは慣れてるからね。下の川は見ねえで、桟を見るわけだね、足場を。 ソリ担いでっからね、重さ20kgくらいはあるわけよね。空の時でね。
普通はソリはテコで坂道降ろしてくるから。前のサンに棒が引っ掛かるようにしてね、棒が地面に当たるところに4寸釘か5寸釘、いっぱい打ち付けて。ガリガリとなるように。それでテコであげるようにして、ソリが止まるようにするんだけど。なかなか止まんねことあるんだけどね、下りの急なところなんかは。そういう時はさっき言ったみたいにロープでね、下ってくんだね。おっかねえ場面になったこともあったけどもね。
菊池:どんな怖い体験をしたんですか?
佐藤:こう2回くらい梶棒に絡んだのがバーっと緩んで、スーーーとソリが坂下ってってね、そんで足が、ソリの下にロープに絡まって引っぱられてね。ひっくり返って、空がバーーッと遠くなるような感じだったね。そしたら少し先のカーブのところでソリがガクッと横になって、そこで止まったんだね。やれやれと思って(笑)。
一同:やれやれって感じなんだ(笑)。
佐藤:そういうのも、今考えるとね、危険なことばっかりやってたんだよね。フフフ
若さもあったしね。
(2022年、丸森町の秀夫さんのご自宅で行ったインタビューから一部を抜粋したものです)